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思い出の選手たち~#41雄平~

不思議な親しみを感じさせる選手だった。
投手として入団して、小柄な体で150キロ以上のストレートを投げた。
打者に転向して、フルスイングからスタンドへ打球を放った。
そんなすごい選手でありながら、ファンと近い存在に思えた。

ガッツボーズより笑顔が思い浮かぶ。
悔しい姿より悲しい顔が思い出される。
これはファンの感情に近い。
グラウンドでプレーをしていながら、スタンドやテレビの前にいるファンの感情を代弁してくれるのが彼だった。

誰よりも彼は自分のファンだったのかもしれない。
結果がでれば嬉しい、でなければ悲しい。
だからどんな試合展開でも、精一杯のプレーを見せてくれた。
たとえ10点差で負けていても、打席で快打を放ち、守りでファインプレーをした。
ケガを恐れて無事に試合を終えようとする気持ちなど、まったく感じさせない全力プレー。
負けた試合でも、スタンドで見ているファンのお土産になるようなプレーを何度も見せてくれた。

ファンは選手の背中へ夢を託す。
しかし彼は、ファンの思いを正面から受け止めてくれた。
ファンからすれば、気持ちを共有しているように感じさせてくれる選手だった
もちろんプレーヤーとファンが気持ちを共有できるわけがない。
錯覚だ。
ただ、それは何物にも代えがたい幸せな錯覚だった。




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思い出の選手たち~#15村中恭兵~

美しい球筋の投手だった。
子供のころ、小石を川に投げて、何度跳ねるか?「水切り」という遊びをした人は多いだろう。
村中恭兵の球筋はそれに似ていた。

まだ、一軍に上がりたてのころだった。
マウンドに上がる前のキャッチボール。
村中の腕がゆっくりと上がり、指先から弾かれる。
軽く投げた球だったが、まるで空気中で跳ねるように村中の球は一段、二段と伸びているように見えた。
当時の荒木大輔投手コーチやバックで守っていた宮本慎也前ヘッドコーチも、「いずれエースになる」と思っていたという。
柔らかい腕の振りから、伸びのあるストレートは140キロ台でも速く見える、剛速球ではない快速球が打者のバットを押し込む。
大きな縦割れのカーブに左打者は腰を引き、右打者のバットはフォークに空を切った。
コントロールがあるとはいえなかったが、ストライクが入るときは完全に相手を抑えきってしまうほどの威力があった。

それに加えて村中の魅力となったのが、小声で話すヒーローインタビューだった。
試合で圧倒的な投球を見せたあとで、伏し目がちで話しときには笑いを取っていた。
ドラフト4兄弟と呼ばれたほかの増渕、由規に赤川とそれぞれ個性的な投手だったが、村中はその中でもっとも洗練された投手に見えた。
身長が高く、腕は長くしなる。
正統派の左腕投手そのものに見えた。
ただ、村中器用で徐々に球種を増やし本格派ではあったが、速球派の色を失くしていった。
柔らかさと器用さは、武器であったが、村中の魅力を消してしまうものだったのかもしれない。

そしてそれを決定的にしてしまったのが、甲子園のタイガース戦だった。
腰だといったが、背筋を痛めたのかもしれない。
プロで長距離砲、速球派の投手は背筋が強い。
村中の柔らかさは、諸刃の剣だった。

それからの村中はシュートを覚え、変化球投手に近い形になっていた。
時折全盛期のようなストレートを投げたが、数は徐々に減りフォークが中心。
背番号も15から43と大きくなり、先発ではなく中継ぎでの登坂が晩年の舞台となった。
それも2016年に52試合で7勝を挙げたところで終わった。
2年間未勝利に終わり、腰の手術をした19年に戦力外通告を受ける。
ついに村中が引退する…そう思った矢先、トライアウトを受けることを報道で知った。

時折マウンドで気持ちを表現することはあったが、どちらかというとスマートな投手だった村中。
投球内容もどちらかというと淡白に見えて、現役続行は意外だった。
ここで村中の印象が変わる。
エースの素材でありながらなれなかった投手ではなく、現役にしがみつく泥臭い選手になった。

個人的にきれいな辞め方をするより、ボロボロになるまで続ける選手に肩入れをしてしまう。
トライアウト後、オーストラリアのリーグに参加し、2020年に独立リーグで発足した琉球ブルーオーシャンズへ入団した。
さらに契約満了で退団すると、2021年はBCリーグ栃木ゴールデンブレーブスへ入団とマウンドを選ばず、村中は現役にしがみついていた。

美しい球を投げる投手だった。
しかし、そこから勝利への執念を感じることは少なかった。
唯一といってもいい、気持ちが伝わる投球に感じたのは、2011年の神宮でのクライマックスシリーズでのジャイアンツ戦。
リリーフで3試合中2試合に登板し、1勝1敗で迎えた3戦目にセーブを挙げファイナルにチームを進めた時ぐらいだ。
ただ、気持ちが見えるタイプではないだけで、本来は熱い心をもった投手だったのだろう。
そうではなければ、大観衆の中で投げていた投手が、NPB以外のマウンドに立つことは考えなかったように思える。

挑戦を続け、燃え尽きるまで全うできるのは、心に熱い火をもっている人だけだ。
村中恭兵は、美しく熱い投手だったのだろう。
数字ではなく、姿勢でそれを伝えてきた。
口下手の村中らしい表現だったのかもしれない。

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思い出の選手たち~#50上田剛史~

当たり前だと思っていた。
青木がメジャーリーグ挑戦のために海を渡った。
そのあとのセンターは、上田剛史以外考えられなかった。

ただ、才能の塊の中から抜け出すには、技術や力だけでなく運が必要だ。
その運を引き込むには、我の強さが必要なのだろう。
上田のプレーには、我より和の方が強かった。
優しすぎるようにも感じた。

神宮でのクライマックスシリーズ、2塁走者の上田は森岡のヒットで本塁へ突入する。
自分のアピールをするためではない、武器である足でチームに1点を与えるためのものに見えた。
自分よりもチームの喜びが優先されていたように感じた。

やがて上田はベンチにいるのが当たり前になった。
プレーよりもパフォーマンスが目立つようになり、出場は試合後半に限られるようになった。

しかし、そんな中でも輝いた年があった。
記憶にまだ残る、2015年のリーグ制覇。
“攻撃型2番”と呼ばれた川端を活かしたのは、比屋根とともに1番を務めた上田だった。
そしてそのリーグ制覇のキーとなった試合、東京ドームでの石川と菅野の投げ合い。
ピックアップされる映像は、石川が菅野から打ったライト前への先制タイムリーだ。
しかし、このイニングにははもう1点入っている。
なおも1アウト1,3塁で打席に上田。
この場面、上田はセカンドゴロを打つ。
打球が転がった瞬間、拳を握っている。
狙い通りの併殺崩れでの打点だったが、凡打でプロの選手がガッツボーズをするのをあまり見たことはない。
ただ上田のプレースタイルをもっとも表していたのが、この打球だったように感じた。

自分のことよりチームの勝利。
そのための打撃、走塁、守備…そして道化だった。
道化はいつも泣いている。
それは周りを喜ばす心のうちに、辛さや悲しみを抱えているからだ。

その思いを抑えて、上田は徹底して道化を演じた。
そんなチームへの献身を演じた道化が去るのを、チームやファンが寂しく思わないわけがない。

ベンチ前、守りから戻る選手たちを迎える姿を来季は見られない。
1塁へ代走のために走る姿は別の選手になっていく。
試合終盤、守るためだけに外野へ向かう背中を追うことはできない。
当たり前のように神宮のグラウンドにいた人がいなくなるほど、寂しいことはない。

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思い出の選手たち~#83関根潤三~


「弱くても応援する価値のあるチーム」の理想像、関根潤三監督が率いたヤクルトスワローズは、そんなチームだったように思える。

関根監督時代は3年で、すべてBクラス。
優勝など夢のまた夢であり、神宮での勝ち試合が見られることも珍しかった時代。
現役メジャーリーガーのホーナー、ミスターの長男長嶋一茂の入団など話題はあったが、それだけで楽しめるわけがない。
では何があったのかといえば、このチームには希望があった。

その希望を生み出したのは、関根監督なのだろう。
本来、プロのチームは相手と戦い勝利することを目標としている。
しかし、それは力のあるチームの目標であり、足りないチームが目指せば、場当たり的な戦いにしかならない。

関根監督は、チーム内に戦いを持ち込んだ。
その代表格が、“イケトラコンビ”と言われた広沢克己、池山隆寛の両選手だった。
「2人に100三振ずつ」は許すといった関根監督。
広沢、池山がチームの勝利を度外視したプレーをしていたとはいわないが、メインの戦いは自分たちの成績だっただろう。
全打席本塁打を狙っているかのように、フルスイングをしていた。
対戦チームとの戦いではなく、個人成績を争っているのだから、試合展開、順位など関係ない。
それが、負けていても広沢の、池山の打席が終わるまで、スタンドにいようという気持ちにさせた。

本来の一軍の試合では、本末転倒かもしれない。
しかし、一軍の試合にでなければ、選手は育たない。
どれだけ三振を重ねても、関根監督は広沢、池山を外さなかった。
試合に出られるのは、最初こそうれしいだろうが、成績がでなければグラウンドに立つことが恐くなるもの。
ときには、ベンチへ下がりたいことがあっただろう。
ただ関根監督は、それを許さなかった。

関根監督就任1年目こそ池山は127試合だが、あとの2年は全130試合出場。
広沢は3年連続フル出場だ。
強いチームには、必ず軸がある。
それもひとりではなく、複数いるものだ。
コーチとして貢献したカープで、関根監督は衣笠祥雄、山本浩二の両輪を作っている。
スワローズでは、広沢、池山がこれに当たる。
やがてこの2人はチームの軸となり、90年代のスワローズの黄金期を支えることとなる。
関根監督も、負けていいなどと思っているはずはない。
ただ、目先の勝ちよりも、広沢、池山という素材に目をつけ辛抱をした。

この流れは時を経て、小川淳司監督に受け継がれていく。
関根監督時代、準レギュラーとして小川外野手は、100試合前後出場している。
この経験が、監督、編成トップに就いたところで、若い選手を抜擢し、辛抱を重ねて、レギュラーへと作り上げていくことにつながっていったのだろう。

育成の関根監督、黄金期を作った野村監督と相次いでスワローズに貢献した監督が亡くなった。
強かった時代ということもあり、野村監督のDNAに注目が集まるのは当然だが、現状のスワローズに当てはめた場合は、関根監督のスタイルの方が合うのかもしれない。
高津臣吾監督は野村監督時代に入団したが、池山二軍監督、小川GMには関根監督のDNAも流れている。

負けていいわけはない。
ただそこに希望があれば、ファンは待てる。
強くなる過程をみることができるのは、スワローズのような球団のファンがもてる特権だ。


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~追悼~野村克也監督


野球を真剣に観るようになったきっかけは、解説者野村克也氏の影響だった。
それまでは、チャンネル占有権のあるスワローズファンの父に付き合い、「勝った」「負けた」「打った」「打たれた」というだけの子供だった。
しかし、そんな少年だったわたしの目に飛び込んできたのが、画面上の“野村スコープ”だった。
まるで予言のように、次々に配球を当て、結果を低音の声で推測していった。
そしてそれは“なぜなのか?”ということも、しっかり説明してくれた。

今でも解説者はたくさんいる。
ただ野村克也氏は、異質なものだった。
経験論や技術論を多く語る人の中で、野村克也氏の解説は「心理」「仕草」という一般のファンにもわかるものだった。
例えば前の打席三振した選手が、繰り返したくないという心理から早打ちになる心理。
これは、少年野球をしているわたしにもわかることだった。
そうした入口から、徐々に打者の反応、一球一球に意味があることを知り、テレビの前で“野村スコープ”と対決し、次の球を予測して楽しむようになっていった。
そのころのスワローズは弱かったが、テレビ朝日での野球中継で「解説野村克也」という名前をみつけると、勝っても負けても試合を楽しむことができた。

そんな楽しい放送を父と一緒にみていたとき、「野村さんが監督になってくれればいいのに」とつぶやいた。
父は「この人は頭がいいから、監督になれないんだ」といった。
「どうして?」と聞くわたしに、
「偉い人が頭の良い人とは限らない。だから頭の良い部下を好まない人もいるんだよ」といい、「社会というのは、そういう不思議なところがあるもんだ」そう続けた。
まだ子供で、社会というものを知らなかったわたしには、難しい言葉だった。

しかしそんな父が亡くなった数年後、野村克也氏がスワローズの監督に就任した。
父の言葉を覚えていたわたしは、「スワローズの偉い人は、頭の良い人なんだろう」と思ったのと同時に、“これで強くなるかもしれない”と感じた。

89年のオフに就任した野村監督は、「1年目に種を蒔き、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」といい、90年5位、91年3位と順位を上げ、92年にリーグ制覇を遂げる。
その後、93年、95年、97年とリーグ制覇、日本一となり、スワローズは強いチームへと変貌していった。

応援し続けてきた弱いチームが強くなっていく過程をしっかり見られたのは、幸せなことだったと思う。
ただ野村監督の就任により、楽しめたのは強いチームになったからだけではない。
解説席では配球がメインだったが、監督になってからは策や選手起用の意味までを楽しむことができるようになった。

そのころインターネットはまだなく、情報のメインはスポーツ紙だった。
そこに前日の試合の策や選手起用の意味、考えが野村監督の言葉として掲載されていた。
書かれている内容は、解説者だったときと同じように、草野球しか経験がなくても、プレー経験のない女性でも理解できるものだった。
深い問題をやさしく伝えるは難しい。
単なるその時の感情で答えているのではなく、きっとどう伝えるかを話す前に考えていたはずだ。
それにより、少なくともわたしは野球の奥深さにハマっていった。
“なぜ?”を常に頭へ置くようになった。

また選手の特徴を伝える場合も、だれでもがわかる言葉を使った。
例えば捕手から内野、外野へとコンバートされ、超一流の守備を見せてくれた飯田哲也選手のことは、「捕手をやっていると足が遅くなる。あれだけの俊足はもったいない」と起用の理由を語った。
土橋勝征選手のことは、「肩が強いのと内野手だったからフォームが小さくコントロールがいい」という理由で外野の守備固めで起用し、「二塁手の肩が強いと併殺が完成しやすい」とセカンドのレギュラーとした。
“足が速い”“肩が強い”というのは、グラウンドの練習を見ているだけでもわかる。

野村監督は、スワローズファンになってもらいたいというだけでなく、野球を好きになってもらいたいという意識の高かった人のように思える。
野球の楽しさを伝えるためには、技術論だとプレー経験がないとわからない。
しかし野村監督の言葉は、観察、洞察により心理を推測し、準備をして臨むことの大切さを伝えていくものだ。
わかりやすく野球を伝える野村監督なくして、強く魅力のあるスワローズはできなかった。

それに、野村監督は自分主導でただ強いチームを作ったわけではない。
野村監督の野球には、随所に“情”がみられた。
エースと決めたら心中、これにより壊れてしまった投手もいたが、彼らは伝説となった。
ただ、勝つための非情さと、エースのプライドに懸ける情…これも野村野球の魅力でもある。

92年奇跡の復活を遂げた荒木大輔が、翌年9回のマウンドに立っていた。
神宮でのジャイアンツ戦、10-0でスワローズがリードした9回、ランナー3塁でスワローズの内野は前進守備を敷いた。
もう勝利は確実であり、1点を惜しむよりアウトカウントを増やすのが当たり前だが、荒木個人の完封のために、野村監督は前進守備を指示した。
荒木は、ランナーを返さず完封勝利を収めるのだが、これが彼のプロ最後の完封となる。
ID野球はデータ重視のために、その時代を知らない人は管理野球のように思えたかもしれない。
しかしデータ重視の中に、隠せない情が入っていたのが野村野球だった。
そのバランスが絶妙だったから、90年代のスワローズは強く、魅力的だったのだ。

“勝ち運”を握る野球の神様と、全身全霊で考え、育て、戦ってきた野村監督。
勝負付けが済んだのか、野球の神様のところへ旅立ってしまった。
その野村監督の指導を受けた人たちの多くが、現在監督、コーチとしてユニフォームを着ている。
まだデータをもとに、観察し想像力を働かせ、絶妙のバランスで情が入る野村野球の継承者は現れていない。
できればそれが、スワローズの監督であってほしい、そうファンとして願う。

スワローズだけでなく、野球の魅力を教えてくれた野村監督には感謝しかない。

2008年11/29に書いた想い出の選手たち・番外編~野村克也~

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