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~追悼~野村克也監督


野球を真剣に観るようになったきっかけは、解説者野村克也氏の影響だった。
それまでは、チャンネル占有権のあるスワローズファンの父に付き合い、「勝った」「負けた」「打った」「打たれた」というだけの子供だった。
しかし、そんな少年だったわたしの目に飛び込んできたのが、画面上の“野村スコープ”だった。
まるで予言のように、次々に配球を当て、結果を低音の声で推測していった。
そしてそれは“なぜなのか?”ということも、しっかり説明してくれた。

今でも解説者はたくさんいる。
ただ野村克也氏は、異質なものだった。
経験論や技術論を多く語る人の中で、野村克也氏の解説は「心理」「仕草」という一般のファンにもわかるものだった。
例えば前の打席三振した選手が、繰り返したくないという心理から早打ちになる心理。
これは、少年野球をしているわたしにもわかることだった。
そうした入口から、徐々に打者の反応、一球一球に意味があることを知り、テレビの前で“野村スコープ”と対決し、次の球を予測して楽しむようになっていった。
そのころのスワローズは弱かったが、テレビ朝日での野球中継で「解説野村克也」という名前をみつけると、勝っても負けても試合を楽しむことができた。

そんな楽しい放送を父と一緒にみていたとき、「野村さんが監督になってくれればいいのに」とつぶやいた。
父は「この人は頭がいいから、監督になれないんだ」といった。
「どうして?」と聞くわたしに、
「偉い人が頭の良い人とは限らない。だから頭の良い部下を好まない人もいるんだよ」といい、「社会というのは、そういう不思議なところがあるもんだ」そう続けた。
まだ子供で、社会というものを知らなかったわたしには、難しい言葉だった。

しかしそんな父が亡くなった数年後、野村克也氏がスワローズの監督に就任した。
父の言葉を覚えていたわたしは、「スワローズの偉い人は、頭の良い人なんだろう」と思ったのと同時に、“これで強くなるかもしれない”と感じた。

89年のオフに就任した野村監督は、「1年目に種を蒔き、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」といい、90年5位、91年3位と順位を上げ、92年にリーグ制覇を遂げる。
その後、93年、95年、97年とリーグ制覇、日本一となり、スワローズは強いチームへと変貌していった。

応援し続けてきた弱いチームが強くなっていく過程をしっかり見られたのは、幸せなことだったと思う。
ただ野村監督の就任により、楽しめたのは強いチームになったからだけではない。
解説席では配球がメインだったが、監督になってからは策や選手起用の意味までを楽しむことができるようになった。

そのころインターネットはまだなく、情報のメインはスポーツ紙だった。
そこに前日の試合の策や選手起用の意味、考えが野村監督の言葉として掲載されていた。
書かれている内容は、解説者だったときと同じように、草野球しか経験がなくても、プレー経験のない女性でも理解できるものだった。
深い問題をやさしく伝えるは難しい。
単なるその時の感情で答えているのではなく、きっとどう伝えるかを話す前に考えていたはずだ。
それにより、少なくともわたしは野球の奥深さにハマっていった。
“なぜ?”を常に頭へ置くようになった。

また選手の特徴を伝える場合も、だれでもがわかる言葉を使った。
例えば捕手から内野、外野へとコンバートされ、超一流の守備を見せてくれた飯田哲也選手のことは、「捕手をやっていると足が遅くなる。あれだけの俊足はもったいない」と起用の理由を語った。
土橋勝征選手のことは、「肩が強いのと内野手だったからフォームが小さくコントロールがいい」という理由で外野の守備固めで起用し、「二塁手の肩が強いと併殺が完成しやすい」とセカンドのレギュラーとした。
“足が速い”“肩が強い”というのは、グラウンドの練習を見ているだけでもわかる。

野村監督は、スワローズファンになってもらいたいというだけでなく、野球を好きになってもらいたいという意識の高かった人のように思える。
野球の楽しさを伝えるためには、技術論だとプレー経験がないとわからない。
しかし野村監督の言葉は、観察、洞察により心理を推測し、準備をして臨むことの大切さを伝えていくものだ。
わかりやすく野球を伝える野村監督なくして、強く魅力のあるスワローズはできなかった。

それに、野村監督は自分主導でただ強いチームを作ったわけではない。
野村監督の野球には、随所に“情”がみられた。
エースと決めたら心中、これにより壊れてしまった投手もいたが、彼らは伝説となった。
ただ、勝つための非情さと、エースのプライドに懸ける情…これも野村野球の魅力でもある。

92年奇跡の復活を遂げた荒木大輔が、翌年9回のマウンドに立っていた。
神宮でのジャイアンツ戦、10-0でスワローズがリードした9回、ランナー3塁でスワローズの内野は前進守備を敷いた。
もう勝利は確実であり、1点を惜しむよりアウトカウントを増やすのが当たり前だが、荒木個人の完封のために、野村監督は前進守備を指示した。
荒木は、ランナーを返さず完封勝利を収めるのだが、これが彼のプロ最後の完封となる。
ID野球はデータ重視のために、その時代を知らない人は管理野球のように思えたかもしれない。
しかしデータ重視の中に、隠せない情が入っていたのが野村野球だった。
そのバランスが絶妙だったから、90年代のスワローズは強く、魅力的だったのだ。

“勝ち運”を握る野球の神様と、全身全霊で考え、育て、戦ってきた野村監督。
勝負付けが済んだのか、野球の神様のところへ旅立ってしまった。
その野村監督の指導を受けた人たちの多くが、現在監督、コーチとしてユニフォームを着ている。
まだデータをもとに、観察し想像力を働かせ、絶妙のバランスで情が入る野村野球の継承者は現れていない。
できればそれが、スワローズの監督であってほしい、そうファンとして願う。

スワローズだけでなく、野球の魅力を教えてくれた野村監督には感謝しかない。

2008年11/29に書いた想い出の選手たち・番外編~野村克也~

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