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変革をを進めるスワローズ投手陣

今季スワローズは石川、館山と左右の両輪に、若きエース候補由規、村中が規定投球回に達した。
4人の到達はリーグ1位、リリーフ依存の激しいチームという形から序々に脱しつつある。
荒木コーチそして補佐する伊藤コーチと2人が管理するようになってから3年、少しずつだが変貌を遂げているといっていいだろう。

90年代、それまでの下位に低迷していたチームから一転、スワローズは強豪チームへと変わっていった。
その指揮を執っていたのは、野村克也監督である。

今はない南海ホークスの指揮官であった野村監督が、トレードで獲得した江夏豊投手をリリーフ投手に転身させたのは有名な話だ。
投手分業時代の幕開けを担ったひとりであることは間違いないだろう。
その一方で野村監督は、エースへのこだわりが強い指揮官でもあった。
スワローズの監督として初のリーグ制覇を遂げたとき、当時のエース岡林を優勝争いの激しくなった後半抑えとして起用し、日本シリーズでは先発させたすべての試合を任せたことでもそれはわかる。

翌93年連覇を成し遂げたときには、抑えに抜擢した高津が定着。その後スワローズの守護神となっていく。
今でいうセットアッパーには、当初抑え候補だった山田勉、リリーフ向きと見た山本樹などを使い、継投に逃げ切るパターンを確立した。
しかし継投のイメージが強い野村監督だが、完投させなかったということはない。
優勝した92年以降、スワローズの完投数が下位に沈んだのは96年の20でリーグ5位になった一度だけ。
92年31(リーグ3位)、93年30(リーグ2位)、95年24(リーグ3位)、97年18(リーグ1位)と任せる力のある投手に関しては、完投をさせていることがわかる。

そのスワローズが、完全にリリーフ偏重時代を迎えるのは若松監督になった99年からとなる。
この年こそ15完投を記録しリーグ4位だったが、翌00年からその数字は半分以下の7に減った。前年一軍デビューを果たした五十嵐亮太が高津の前に定着した年だ。

そして01年、21世紀に入って最初の優勝を遂げたスワローズ。しかしこの優勝が完全なるリリーフ偏重の幕開けとなってしまう。
象徴的だったのは、開幕戦。
ベイスターズを相手に開幕投手を務めたのは、この年「優勝をしたらポスティングでメジャー行き」といわれていた石井一久だった。
石井一は7回まで8奪三振を奪い0封、完全な完封ペースだった。しかしマウンドを降りてしまう。結果9回当時まだ投手だった宮出が6点のリードでマウンドへ上がるが4失点し、高津を投入6-4で逃げ切った。
この当時「先発は試合を作るのが役目、無理に完投することはない」という石井一の発言が新聞コメントとして載ることがあった。
その後日本に復帰した石井一は完投を記録していることから、どんな意味を持っていたのかわからないが、誇張されたにせよ、そう取れる発言をしていたのだろう。
石井一がスワローズのエースと呼ばれていた時代。
「エースと4番はチームの鏡」という野村監督であったら逆鱗に触れたかもしれない。
この年、石井一はシーズン12勝を挙げたが完投は0。日本シリーズでも8回まで“猛牛打線”といわれた近鉄バファローズを1安打に抑えながら、あっさりとマウンドを降りた。
01年は、五十嵐に加え後に「ロケットボーイズ」と呼ばれる石井弘が高津の前に定着。万全なリリーフ陣を持ったスワローズは、チーム完投数6というリーグ最少で優勝した。

この年以降、スワローズの完投数は05年の3を最少に06年までひと桁に終わる。
04年こそリーグ5位だったが、それ以外の年はリーグ最下位。投手分業制が進んだ90年代後半以降とはいえ、この間でも必ず3チーム以上は二桁の完投を記録していることを考えれば不名誉な記録。
またこの間セーブ数は00年を除いてリーグ1位もしくは2位だったことを考えれば、バランスの悪い投手陣だったともいえる。

これがスワローズの戦い方といえばそれまでだが、07年怖れていたことが起こった。
五十嵐亮太が肘、石井弘が肩を痛め一年を棒に振ってしまったのだ。
その上入団以来二桁勝利を挙げ、エース格となっていた石川が不振。
高津の前年からの復帰はあったものの、全盛期の力は望めるわけもなく、抑えが固定できなかったスワローズは、最下位に沈み古田監督が辞任する事態を招いた。
皮肉なことに抑えを固定できなかったスワローズは、99年以来の完投数10と二桁を超えた。

高田新体制となって投手コーチも荒木大輔、伊藤智仁と入れ替えがあった。
「先発は月一回完投」とテーマを掲げたものの、初年度は再び完投数4とリーグ最下位、チーム順位も5位と振るわなかった。
しかし翌年から変化が出てくる。
08年に加入した林昌勇、松岡、押本と五十嵐、石井弘、高津に勝るとも劣らないリリーフ陣を抱えながら、完投数を10と押し上げた。

その投手陣の中でもっとも変わったのはエース石川だ。
02年に入団以降二桁勝利を挙げてきた石川だが、ルーキーイヤーに2完投、03年3完投、04年に1完投を記録するが、05年、06年は完投0。
03年に190回を投げたものの、04年163回1/3、149回2/3、151回とイニング数が伸びない。
しかし08年からは195回、198回1/3そして今季は186回1/3と長い回を投げるようになっていった。
もちろん完投数も3、3、2となっている。
その石川と投手陣を支える存在となった館山も09年5完投すると、今季は故障離脱があったもののすべて完封の4完投を記録。平均イニング数も伸びてきている。
この2人の数字に、由規、中澤の2完投を加えチームで10完投、これはリーグ3位。
スワローズが完投数リーグ上位3チームに入ったのは、98年以来。
またセーブ数も38でリーグ2位となり、先発抑えのバランスが取れた投手陣になりつつある。

DH制のないセリーグでは、たとえ1点に抑えていても終盤負けていればチャンスで代打を送られてしまう。
それだけに完投するということは、勝っている状態もしくは最低同点でなければ難しい。パリーグとはまた違った価値のあるものだ。

一度染みついてしまった「試合を作る」という聞こえのいい言葉に支配された投手陣を、元の先発完投を目指す型に戻すには時間がかかる。
先発、リリーフとも故障をさせないよう調整させ、継投してきた監督、投手コーチは苦労があっただろう。
また鏡となるべく、長い回を投げる姿勢を見せてきた石川のエースとしての自覚も見逃せない。
「試合を作る」のではなく「試合を支配する」先発へ。
その変革はまだ始まったばかりだが、来季以降もそれは続き、完成したときスワローズは投手王国と呼ばれるチームとなるだろう。


※この記事は2010年12月に書かれたものです。

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