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想い出の選手たち・番外編~野村克也~

「スクール☆ウォーズ」というドラマがあった。
不良の巣窟と言われた高校に赴任した、元ラグビー日本代表の教師が、熱血教育で7年目にして全国制覇を果たすというストーリー。
原作は「落ちこぼれ軍団の奇跡」という作家馬場信浩が、伏見工業ラグビー部とその監督山口良治氏を取材したノンフィクションだ。
この話が作り物だとしたら、ここまで伝説化するようなドラマにはならなかっただろう。
NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられたように、壮絶な生徒とのぶつかり合いによって勝ち得た勝利だっただけに、人の心を打ったのだろう。
ドラマは多少オーバーな演出だったが、本の方では書かれている文章だけではなく、その行間に苦労がにじみ出ているような気がした。
ただこのような話は全国制覇という結果が出たから表に出たもので、こういう教師は他にもいたであろうし、使い話もあったはずだ。
そんな表に出てこない話の象徴として、伏見工業ラグビー部の物語が登場した。
この埋もれてしまった話と、語り継がれる物語との差は「奇跡」である。
「出会い」といってもいいかもしれない。
指導者と選手、がまるでひきつけられる様に集まったとき、その「奇跡」は起こる。

来季楽天野村監督は、自分の集大成とするという思いを胸にシーズンへ臨む。
今や名監督と呼ばれることが当たり前となった野村監督だが、そういわれるきっかけとなったのはスワローズ時代の成績だろう。
野村監督の指揮官としての優勝回数は5回。
南海でPMとして達成した1回以外は、すべてスワローズ時代のもの。
名監督野村克也の誕生はスワローズであり、そしてその始まりは92年。
この92年の優勝は、まさに奇跡が重なったものだった。

「野球界にも政治があるのか」といって南海ホークスの監督を解任された野村氏は、その後ロッテ、西武と一選手に戻って45歳までプレーをする。
引退後は解説者として「野村スコープ」を駆使し、結果論ではなく予測をする解説で注目を浴び、他にも講演活動、少年野球のオーナーなど忙しい日々を送っていた。
しかし不世出の名捕手と言われた人である。
監督招聘の話は何度かあったらしい。
ただそのたびに「野球界を取り巻く政治」によって話は消えて行った。
野村克也は自分を世に出してくれた親とも言えるプロ野球界に捨てられた人であった。
その野村をヤクルトスワローズが監督として招聘した。
この頃のフロントは、勝ちに飢えていた。

78年球団史上初の日本一を達成したスワローズだが、その後は2位が一度あるだけであとは万年Bクラス。
しかしドラフトではなぜか強く、甲子園のヒーロー荒木大輔、池山隆寛、六大学のスラッガー広沢克己、首都大学のエース高野光などを次々に入団させていた。
そして極めつけは、長嶋一茂の入団と現役メジャーリーガーのボブ・ホーナーによる話題性と、人気球団になっていた。
しかしよい素材が暖炉にくべられても、一向に燃え上がらずチームは育成を言い訳に弱小球団のままであった。
火が必要だった。

90年、それは野村監督が就任するには絶好の年であった。
前年、長年スワローズの象徴的存在だった若松が引退。
チームは世代交代期に差し掛かっていた。
またドラフトも絶好だった。
スワローズはその年の目玉、野茂を外すが、野村監督の要望した「球の速い投手と捕手」という希望をかなえ、西村、古田の指名に成功する。
とくにこの古田との出会いがなければ、名監督野村克也の誕生はなかったかもしれないし、プロ野球界を後に引っ張ることになる古田敦也は、形の違う存在になっただろう。

野村監督はプロ野球界を見返してやろうとしていただろう。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」の言葉があるように、結果を見せなければならなかった。
見捨てられた引退からこの間までの思いはどれほど強かったか。
情熱も気力も、名監督と呼ばれている今とはまったく違ったものだろう。
しかし暖炉にくべられた素材は、そんな強い火を待っていたのかもしれない。
まず広沢に火がついた。
広沢は明治大学で優勝を経験し、正式種目でないとはいえオリンピックで金メダルを獲った主力選手。
スワローズの弱さに諦めてしまっていたベテラン選手たちとは違い、勝つ味をかすかに覚えていた。
そして世代交代が進んだことで、広沢は若きリーダーとなっていた。

野村監督は広沢を中心にチームを作ることを決める。
この年の開幕オーダーは、3番サード広沢、4番ファースト杉浦、5番センターマーフィー。
4番は日本人選手がいい、という野村監督はまずベテラン杉浦を4番に置いたものの、経験のないサードで広沢を3番に起用する。
野村監督は、貧乏球団というものをよく知っている。
補強はドラフトだけ、トレードもほとんどやらない、そんなチームに3拍子揃った選手がたくさんいるわけがない。
このあとも野村野球の特徴として出るが、打線はまず4番から決める。
それを生かすために周りの打順を決めていく。
そして守備はセンターラインには守りの名手を置くが、他のポジションは打撃優先というスタイルを取る。
補強費のないチームの勝ち方を、南海でいやというほど覚えたようだ。

この開幕戦、広沢は3番に入ったが、あとに主力となる池山の打順は8番だった。
理由は、広沢はチームのために動けるが、池山は自分の成績しか考えていない、ということだったようだ。
チームの中軸は勝利優先、これを示すために、中心となる選手を用いて教える。
これもひとつの策だったのだろう。

「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」
広沢を4番として育て、池山にチーム打撃を教え、古田に自らの知識を伝えた野村監督は、1年目5位、2年目3位として、勝負の3年目92年を迎えた。
しかし打線はまとまったものの、投手陣は数が足りなかった。
そこで奇跡が起こり始める。
この年を待ったように、高野が伊東が復帰をする。
エース川崎の故障をこの2人がカバーし、西村、岡林を金沢、宮本らベテランとともにフォローした。
ただ経験のない若い選手たちは、後半優勝争いの中で失速する。
ここで満を持したように復活するのが荒木大輔である。
肘の故障による2度の手術、椎間板ヘルニア、父と恩師の死、まるでドラマのようなエピソードを背に、荒木がマウンドへ戻ってきた。
ここで再点火したスワローズは、タイガースを振り切り優勝を遂げる。
この年は他にも、78年優勝時の4番大杉と2番サード船田の死があった。
スワローズを優勝させるために、すべての出来事が作り物のように動いた。
「念ずれば花開く」
時に人の思いは、奇跡を起こす。
その奇跡とともに野村監督は名監督の階段を上っていった。

野村監督がいくら名将であっても、選手がいなければ勝つチームにはならない。
とくに中心を作って回していく戦いをすることを得意とする野村監督にとって、投手には岩隈、田中はいるが、打線に軸がなかった。
そんな中、今日ドラゴンズをFA宣言で飛び出した中村紀が、イーグルス行きを発表した。
4番中村、野村監督はこれを決めて他の打順を決めていくだろう。
あとはスワローズの時のように、奇跡が起こるかだ。

夢を見せてくれた野村監督に、スワローズファンとしては有終の美を飾ってもらいたい。



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