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想い出の選手たち~川崎憲次郎~

チームとのバイオリズムが合わない投手だった。
活躍すれば優勝を逃し、故障に苦しんだ年には、神宮が歓喜の輪に包まれていた。
川崎はエースとしての階段を踏み外した投手だった。

由規が入団したとき、そのストレートのスピードが話題になった。
最速150キロ以上。
甲子園のスコアボードに提示されるスピードに、スタンドがざわつくことがめずらしくなくなった。
その魁となったのが、川崎だった。

川崎が甲子園に登場した頃の高校野球では、140キロを越えた球が1球でもあれば騒がれた時代だ。
今のように筋力トレーニングが進んでいない時代では、それでも充分速かった。
川崎が津久見のエースとして甲子園のマウンドで出したスピードは、147キロ。
それはずば抜けたものだった。

そのスピードを誇って、川崎はジャイアンツとの抽選に勝ったスワローズに入団。
与えられた背番号は17。
191勝を上げた松岡が背負ったスワローズのエース番号である。

川崎がプロ入りした頃の球種は3種類、ストレート、カーブ、フォーク。
シーズン前半をファームで過ごし、満を持して後半1軍に上がった川崎は4勝4敗、完投4完封1の記録を残す。
速球派ではあったが、三振を多く取るタイプではなく、球威で押し込み凡打に打ち取る投球スタイル。
そして何より逃げの投球をしない投手だった。
その証拠に入団3年目までの成績は、完投の多い速球派の投手でありながら、四球が投球回数の1/3。
つねに真っ向勝負、それが川崎の真骨頂だった。

そんな2年目の川崎を就任1年目の野村監督はエースとして扱う。
最高の見せ場は、優勝まであと1勝に迫ったジャイアンツ戦の熱投。
結果は延長戦、吉村にサヨナラホームランを打たれ敗戦投手になり、胴上げを見せつけられる事になったが、この試合が90年代スワローズ全盛期のきっかけだった。
この年12勝(完投15)、翌年Aクラス入りの原動力となる14勝(15完投)とエースとして順調な滑り出しをした川崎だったが、まだ若かった肩が2年間で400イニングという投球回数に悲鳴を上げた。

キャンプ中に起こした捻挫がフォームを崩し、疲れの溜まっていた肩、肘を痛め、自慢の縦のカーブが消えてしまった。
川崎は92年のシーズンを棒に振る。
皮肉なことにこの年、故障から復活した伊東、高野そして荒木の復活登板に力を得たスワローズは、タイガースとのデットヒートを制し、リーグ優勝を飾る。
ここにもちろん川崎の姿はなかった。

そして93年、川崎とチームのバイオリズムが唯一重なった年が来る。
復活なった川崎は10勝を挙げ、前の年逃した日本一を目指すチームの主力として活躍。
しかし、胴上げには高熱で参加できずにいた。
最高の瞬間にその場にいられない悔しさ。
川崎はその映像をどんな気持ちで見ていただろう。
ただその悔しさというエネルギーの発散の場を、勝利の女神は日本シリーズに用意した。

川崎の登板は4戦目。
2勝1敗でスワローズが王手を賭けられるかどうかの、大事な試合。
川崎はマウンドで伸び上がるような大きなフォームで、故障前のようなストレートで押す投球を見せた。
コースなど狙ってはいない。
空振りを取るのではなく、バットを押し込むストレートでフライを上げさせる。
中盤からフォークを交え、強打のライオンズ打線を抑えていく。
危ない打球はあったが、川崎のストレートがフェンス手前で打球を失速させていった。
1?0。
このシリーズ、最高のプレーと言われている飯田のバックホームで無失点に切り抜けると、これもこの年からクローザーに固定された高津にマウンドを譲った。
9回、ベンチで川崎は泣いていた。
マウンドの高津を見つめ祈っていた。
そして勝利の瞬間、川崎は雄たけびを上げた。
ヒーローインタビューでも涙で声を詰まらせた。

その涙に感動したのか、女神は雨を降らせる。
本来なら、1試合しか登板の機会がなかった川崎に、第7戦日本一を決める舞台を用意した。
中4日、故障上がりを感じさせない投球で、川崎は熱投を見せる。
投げ、叫び、拳を握った。
力尽き、再びマウンドを高津に譲ったが、川崎の気持ちは満足感でいっぱいだっただろう。
そして待ち望んだ瞬間はやってきた。
所沢の空に、高津が両手を突き上げた瞬間、スワローズは常勝ライオンズを破って日本一を決めた。
川崎はマウンドへ走った。
待ちに待った胴上げ、そして試合後発表されたMVP。
川崎にとって、最高の瞬間であっただろう。

その後、川崎は98年17勝を挙げ最多勝、沢村賞を取った年が、チームは優勝を逃す。
それ以外は故障に苦しみながらの野球人生だった。
ドラゴンズにFA移籍するものの結果は出ず引退。
ただこのドラゴンズで背負った番号は20、ドラゴンズのエース番。
2球団でエース番号を背負った投手はなかなかいない。

エースと呼ばれながら、華やかな場面と縁の少ない投手だった。
しかしその少ないチャンスで最高のパフォーマンスを見せたことは事実。
類稀な才能を持ちながら結果は満足のいかないものだったかもしれないが、ストレート、シュートと勝負球は変わっても、その投球はひとつひとつに一瞬の輝きがあった。
そんな投手だった。



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